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◇ピンクのカーディガン。◇

それは私が小学校3年生か、4年生くらいのことだったと思います。

ある夏の日のこと、仕事から帰ってきた母親が私に包みを渡しました。私はその包みを触った途端、中身は洋服だとすぐに気がついたので、まあ時々買ってくる普段着なのかなと思いました。

この頃の私はまだ一人で洋服を買いに行くような年齢でもないし、まして母親が買ってくるそれは、当然いつも男の子用の洋服だったので、私にとって正直あまりうれしくもなく、興味を持てる物ではありませんでした。ただひたすら、私は母親に渡される物を機械的に着ていました。

ですからこの時も、私は何の感慨もなく包みを開けてみたのですが、それはいつもとは少し違ったものでした。

それはとてもかわいらしい、淡いピンクのカーディガンだったのです。

私は思わず動揺しました。それはどう見ても男の子用の洋服には見えなかったので、まさか私の気持ちに母親が気付いてるのかな?と思ってしまいました。

しかし、母親にそんなそぶりはなく、でも私に「かわいいでしょ?着てごらん」と言って、いそいそと私にそれを着せました。

私はそんな初めての展開についていけず、母親に連れられて鏡の前に立ってみても、何だか気恥ずかしさに鏡を見ることができませんでした。

そもそも、母親からの「かわいいでしょ?」って言葉も、私には聞き慣れたものではなかったのです。かわいい洋服は女の子の物。つまり姉の物で、私は決して着れない物。私はそう思い込んでいました。もし私が着ても似合わないんだろうなと。

「何それ」

私と母親の様子を見て、姉が少しとげとげしく声をかけました。

「良いでしょ?かわいいじゃない」

母親はそう言い返したのですが、さらに姉は「変っ」と言いました。

もちろん姉には、今回、母親が私にだけ洋服を買って来たことが気に入らないこともあったのでしょうが、やはり私にそのピンクのカーディガンが似合うとも思えなかったようでした。

私はそんなやりとりをぼーっと聞きながら、やはりこれは私が着てはいけないものなんだと思いました。

私は急いでそのカーディガンを脱ぎました。そして絞り出すように「着ない」とだけつぶやきました。

私はそのピンクのカーディガンを引き出しの奥にしまい込んで、その存在を忘れようとしていましたが、それから一週間たった頃、嫌でも思い出すことになりました。

「誕生日のプレゼント?今年はあのカーディガンだったのよ」

母親は料理を続けながらもわずかに振り向いて、私にそう言いました。

「え?」

そう、あのカーディガンは、母親から私への誕生日プレゼントのつもりだったのです。そして今日はその誕生日当日なのでした。

どういうわけか私の母親は、日にちを遡って、「あれが誕生日プレゼントだった」と私に告げることがよくありました。しかし、私に渡された時点で母親はそう告げることもなく、当然、私もそうとは思わないことが多々あったので、私はいつも何だかすっきりしない誕生日を迎えることになりました。そして多くの場合、そんな時のプレゼントは普段着と変わらない洋服でした。

それでも普段よりは豪華な夕食だったり、ケーキを買って来てもらえたりするので、何回か同様のことを重ねるうちに、やがて私はそんな誕生日が当たり前になりつつありました。

がっかりすることも、回数を重ねればいつのまにか慣れてしまうものです。と言うか、遡って喜べと言われても。

さて、今年もそんな誕生日を過ごした更に数日後、私は母親とおでかけすることになりました。母親の勤める会社の社長さん宅で、地域の夏祭りに合わせて毎年恒例の宴会を開くので、そのお呼ばれに与ったのです。

しかし、ここでまたピンクのカーディガンが私を苦しめることになりました。どういうわけか今回に限って、

「あのカーディガンを着ないのなら連れて行かない」

と母親が強硬に言うのです。

私には何がなんだかわかりませんでしたが、結局あのピンクのカーディガンに袖を通しました。それは薄い生地でしたが、とても重く、私を締め付けるように感じました。もちろん、その自分の姿を鏡に映すこともできず、そのまま私は母親と出発しました。

もちろん、私には「行かない」という選択肢もありました。しかし、我が家では見たことも無いご馳走や、もしかするといろんな人から頂けるお小遣いの誘惑に、私は負けてしまいました。その頃の私には、それほど魅力のあることだったのです。

それでも途中のバスの中で、私は誰かに「変だ」とか「オカマだ」とか言われたらどうしようかと気が気ではありませんでした。そしてこれからのことを想像すると、わずかに後悔せずにはいられませんでした。

社長さん宅についた私たち親子が挨拶をすると、一瞬の間の後、やはり私は嘲笑の的になってしまいました。元々その会社は漁業関連の会社なので、社員さん達もどちらかというとデリカシーが無いというか、言いたいことをあからさまに言う人が多かったのです。

私は、会う人会う人に様々な言葉をかけられ、ちょっかいをかけられました。

しかし、悲劇はそれだけでは終りませんでした。

社長さんには二人の子供(姉弟)がいたのですが、私より年上のお姉さんはともかく、私より二つ年下のK君は、地元の友達数人と一緒になって、そのピンクのカーディガンを着た私をとてもからかってくれました。

しかし、私は子供心に「相手は社長さんの息子」ということに囚われて、何も言い返すこともできませんでした。泣くことも必死で我慢しました。

結局、それから私は広い社長さんの家を彷徨い歩き、宴会が終るまで暗い片隅に隠れていました。もう誰にも会いたくなかったのです。

もし生まれつき私が女の子で生まれていれば、ピンクのカーディガンを着る事も当たり前で、誰にもからかわれることもなく、姉にも「変だ」と言われることもなく、今よりは似合ってたかも知れない、そんな考えが浮かびました。

もっとも、そんな気持ちさえ、その頃の私には誰にも話す勇気がありませんでしたが。

そして今度こそ、そのピンクのカーディガンは引き出しの奥にしまわれたまま、私は二度と袖を通すことはありませんでした。

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