GIDアーカイヴ。家族のこと。

◇「人生はゲームのように。」◇

大学一年の時に私が生まれて初めて、精神科を訪ねたことによって、半ばなし崩し的ではあったものの、やっと私は家族に、性別違和をカミングアウトすることができたわけですが、その一度目の結果はあまり良くはありませんでした。

母親はそれなりに取り乱したと言い、父親はおかげで寝込んで口も利かなくなったと言い、むしろ冷静だったのは看護師でもある二番目の姉だけでした。

でもそうなると、私が性別に対する違和感を、小さな頃から抱いていたことはもちろんでしたが、同時につもりにつもっていた家族に対する不信感も、私は何とかわかって欲しくて手紙を書きました。 そこで一度実家に帰っておいでという、母親の言葉に従うことにしたのでした。ある意味、それは良いきっかけになるのではないかと、私は思ったのです。

ほとんど顔を見せない父親のおかげで張りつめた感じの家の中で、私はとりあえず母親に手紙を渡しました。

私は小さな頃から家族の一員だと実感できないままでいること。ずっと言えなかった学校でのいじめのこと。そして、やはり自分の肉体の性別になじめないままでいること。この際だからと、私は思いのたけを精一杯書きました。

私は一応、私が大学に戻ってから読んで欲しいと告げたものの、母親はすぐに読んでしまったようで、その直後の母親はどういうわけだか怒りに震えていました。

「あなたは勘違いしている」

それが手紙を最初に読んだ母親の一言目でした。

正直、私には母親のその反応がまるで理解できませんでした。率直な気持ちを書いたのに、なぜ怒られるのでしょう?そこで、私の不信感はさらに募ってしまいました。

しかし、少し時間が経って、落ち着いた母親は多少思い直したようで、

「これからは何でも素直に気持ちを伝えて欲しい」

と言いました。

ただそれでも、私の性別に対する違和感だけは受け止められなかったようで、「若い時の気の迷い」だと、私に繰り返し主張するのでした。まだ「性同一性障害」なんて言葉も一般的では無い頃でしたし、私の診察をした精神科医も否定的であったので、母親にしてみればそう信じるしかなかったのかも知れません。

一方で、私が家族の繋がりを実感できないことを気にかけた母親は、やはり何かしらの解決方法を探りたかったようでした。

思えば、小学6年の頃から、急にぬいぐるみを手放せなくなった私を思い返し、また恐らくは精神科医の言葉の影響もあって、私の気持ちや考え方が、ある程度の年齢のままで固定されていることに気がついたようでした。

母親にしてみれば娘3人の後の息子で、スキンシップやコミュニケーションも、必要以上に控え目にしてしまったということ、自分の知らない所で姉に利用されていたこと、学校にも家にも居場所をまるっきり感じていなかったこと、また不可解な机の傷の理由や、ある年の夏に私が自殺しようとしていたことを知って、母親は考えてくれたようでした。

家族全員で旅行をしたこともなく、姉の時と違って学校の参観日や運動会、文化祭を応援してくれたこともなく、入学式も卒業式にも出席したこともないことなどを、何とか埋め合わせてくれようと、私に少しでも「家族」を感じさせてくれようとしたのでした。

そこでとりあえず、母親は家族に「家族みんなで遊ぶこと」を提案しました。「まず何がしたい?」と訊ねる母親に、 私は「家族みんなで『人生ゲーム』がやりたい」と答えました。TVゲームという選択肢ももちろんありはしましたが、さすがにそれには両親がついていけないとのことで、私はなぜか憧れていた、家族でのボードゲームをしてみたいと告げたのでした。

かくして数日後、私は母親とおもちゃ屋さんに出かけ、一番ポピュラーな『人生ゲーム』を買って来たのでした。

そしていよいよ、一番上の姉を除く、家族四人での人生ゲーム大会が開かれました。

もちろん、父親と姉には、「何でこんなことを?」という気持ちが顔に現れていましたが、正直、私にはうれしくてたまらないことでした。

とは言え、私が実家に滞在したわずか数日の間のこと、4人全員で遊んだのは2回か3回だと思います。すぐに飽きてしまった父親と姉が抜け、それから更に数回、私は母親と2人だけで遊びました。

それでもほんの少し、私は小さな頃から感じていた、不足感を癒せたような気がしました。

数日後、私以外誰も遊ばないだろうということで、私はその人生ゲームを抱えて大学のある街に戻りました。もちろん電車では少し目立ちましたが、私は駅を降りてからも、かなり歩いてアパートに到着しました。

そのアパート内には学部は違うものの、同じ大学の同級生が二人いたので、少し仲良くなった彼らとも、その後数回、私はそのゲームで遊びました。

するとある日、その中の1人のI君が、「今、サークルの連中が家に来てるから貸してよ」と言って来たので、私は何の気もなく貸してあげました。彼らはI君の部屋で楽しんだようで、さらにI君は「しばらくこのまま貸しといてよ」と言いました。

しかしちょうどその頃、急に私は引越しすることになり、当然、彼に「返して欲しい」と言ったのですが、I君は「必ず引越し先に持って行くからそのまま貸しておいてくれ」と、頼んで来ました。私は彼のことを信用していたし、もう一人の住人のW君も遊びたいからと、結局、多少押し切られる形で、私はゲームをI君の部屋に残して新しい部屋に引越しました。

ところが数日後、ちょっとしたニュースが舞いこんで来ました。なんとI君が自分の部屋でボヤを出したというのです。既に私はそこに住んでいなかったわけですが、私は彼と友達になったと思っていたし、ゲームのこともやはり少し気になり、ある日そのアパートをこっそり訪ねました。

外見では何の変わりも無く、もちろんI君の部屋も外から見た限りでは何の変化もありませんでした。私は大したこと無かったんだと安心してその場を去りました。一応、彼の部屋も訪ねましたが留守でした。

しかし、数日経ってもI君の方からは何の連絡も無く、かと言って、私の方から連絡することにもためらってしまい、更に数日が過ぎたある日のこと。

ふと気がつくと、キャンパス内の、私から少し離れたところで、こそこそ話をしているI君とW君の姿がありました。するとしばらくしてW君の方だけが、私に近づいて来ました。

「なあ、Iの部屋でボヤがあったのは聞いてるだろ?」

「うん。」

「じゃあさ、火事見舞いだと思ってさ、あいつに『人生ゲーム返せ』とか言うなよ?かわいそうだろ?」

「え?もしかして、、、あれ燃えちゃったの?」

「あ、うん。そうそう燃えたんだよ。だから、言うなよ?」

W君の言葉が嘘だということは、いくら鈍感な私でもわかりました。でも、目の前の彼を押しのけてまで、私は向こうで様子を窺っているI君に、確かめようとは思いませんでした。

「んじゃあ、そういうことでな」

W君はI君の所に戻り、2人はにこやかに去っていきました。

それほど高価な物では無かったとは言え、小さな家族の思い出を作った人生ゲームは、こうして二度と私の手元に戻らなくなりました。

そしてその後知ったのは、W君と、同じ学部に一浪して入ったT君(中学、高校の同級生)が仲良くなり、大学内外のいたる所で私のことを、「女装趣味のある子」として話のネタにしているということでした。もちろん、I君もサークル内などで同様のことをしてくれたのでした。

やっぱり人生はゲームのように楽しくはないんだな、とその時の私は実感したものです。

感想をメールする。スパム対策がしてあります)

GIDアーカイヴ。家族のこと。

このページのトップへ

Copyright(C) Since2004 えんじぇる。(sad_angel) All Rights Reserved.